

清潔感は、生まれ持った容姿やセンスだけで決まるものではありません。
知る。確認する。整える。手入れする。そして、続ける。
その小さな積み重ねが、その人の清潔感をつくっていきます。
高価な服を身につければ生まれる、というものでもありません。
DEFFERTでは清潔感を、日々繰り返すことのできる「整える技術」として考えます。
身だしなみでは、実際に清潔であることが前提です。
そのうえで大切になるのが、見た目にも清潔感があること。
衛生的に清潔であることと、他者の目に整って映ることは、重なりながらも同じではありません。
清潔感とは、清潔であることに加えて、相手の目にも整って見えている状態です。
だから清潔感は、顔立ちだけの問題でも、服だけの問題でもありません。
髪を整える。髭や肌を手入れする。爪を清潔に保つ。シャツの襟や袖口を確認する。服のシワや汚れを整える。靴を手入れする。
匂いへの配慮や、姿勢、立ち居振る舞いも印象に関わります。
一つひとつを見れば、決して大げさなことではありません。
けれど、その小さな手入れが重なることで、全身から感じられる印象は変わっていきます。
小さな手入れの積み重ねが、その人の清潔感になります。

高級なスーツを着れば、それだけで清潔感が生まれるわけではありません。
高価なシャツであっても、身体に合っていなかったり、シワや汚れが目立ったりすれば、整った印象にはつながりません。
反対に、限られた選択肢の中でも、自分の身体に合ったものを選び、丁寧に手入れして着ることはできます。
高価な服が清潔感をつくるのではなく、身体に合った服を、手入れして着ることが清潔感につながります。
これは、高価な服を否定する話ではありません。
大切なのは「いくらだったか」だけではなく、その服が自分に合っているか。そして、手にしたあとにどう付き合っているかです。
スーツにも、清潔感を左右する要素があります。
身体に合ったサイズ感。清潔なシャツ。整ったスラックスのセンタークリース。手入れされた靴。
そして、着用後にはブラッシングをして埃を落とし、服を休ませる。
オーダースーツを仕立てたからといって、自動的に清潔感が生まれるわけではありません。
仕立てる。着る。手入れする。整えて、また着る。
その循環まで含めて、装いなのだと思います。
洗顔や保湿、ブラッシング、靴磨き、アイロンがけ。
こうした身だしなみや手入れには、それぞれ方法があり、学び、日常の習慣として続けていくことができます。
知る。自分を見る。整える。手入れする。習慣にする。そして、また同じように整えられる。
DEFFERTが「清潔感は、技術。」と考える理由は、ここにあります。
これは科学的な定義ではありません。
清潔感を、生まれ持ったものだけではなく、日々の行動によって整えていけるものとして捉える、DEFFERTの考え方です。
身だしなみや服装は、自分を飾るためだけのものではありません。
資料の中でも、身だしなみは相手への配慮であり、エチケットや礼節につながるものとして語られています。
自分が好きな服を着る。
もちろん、それも装いの楽しさです。
けれど、大人の装いには、その先にもう一つの視点があります。
「相手は、どう感じるだろう。」
そこまで考えて、自分を整える。
派手に飾ることではなく、相手に不快感を与えないように、小さなところまで手をかける。
その配慮もまた、大人の品格の一部なのだとDEFFERTは考えます。
清潔感は、一度整えれば終わりではありません。
今日も整える。明日も整える。
その繰り返しが、やがてその人らしい佇まいになっていく。
清潔感は、技術。
そして整えることは、相手を思うことでもあります。
