

スーツを着たとき、鏡で正面は見る。
襟の収まり。肩の線。ボタンの位置。
では、後ろ姿はどうでしょう。
自分では、なかなか見えない場所です。けれど、他人の目にはいつも映っています。
背中の中央に入った、一本の切れ目。
「センターベント」という小さなディテールから、スーツの後ろ姿を考えてみます。
センターベントとは、ジャケットの後ろ身頃の中央裾に入った1本の切れ込みのことです。
乗馬時の運動性や裾の収まりから生まれたとされ、日本では古くから「馬乗り」とも呼ばれてきました。英国では「シングルヴェント」と呼ばれます。
「ベント(Vent)」は、英語では本来「空気孔」を意味する言葉ですが、紳士服ではジャケットの背中や両脇の裾に入った切れ込みを指します。
背中中央に1本入るのがセンターベント。左右に2本入るものがサイドベンツです。

理由のひとつは、身体を動かしやすくするためです。
センターベントは、乗馬の際に上着の裾が邪魔にならず、脚を左右に開きやすくするため、また馬に跨ったときに裾が収まりやすくなるよう考案されたとされています。
日本で「馬乗り」と呼ばれてきたのも、乗馬服やフロックコートで馬に跨った姿に由来します。
歴史をさかのぼると、ベントのない「ノーベント」のほうが古く、「ヴェント」という言葉自体は少なくとも15世紀には登場しています。当時は着丈の長い男性用の上着で、必要な運動量を確保するために使われていました。
19世紀以前には、センターベントの上部をカギ形に仕上げた「フックド・センター・ヴェント」も多く見られたとされています。このフックベントは、その後アメリカン・トラッドやアイビースタイルを象徴するディテールのひとつとなりました。
ただの飾りではなく、必要な機能から生まれたものが、現在のスーツにも残っている。
機能から生まれたディテールという点では、ラペルに残るフラワーホールにも通じる面白さがあります。
| 仕様 | 切れ込み | 特徴 |
|---|---|---|
| センターベント | 背中中央に1本 | 軽快で活動的。アメリカン・トラッドやブレザーとも関わりが深い |
| サイドベンツ | 左右に2本 | エレガントで落ち着いた印象。ブリティッシュ・スタイルとも関わりが深い |
| ノーベント | なし | シンプルでクラシック。フォーマルウェアにも用いられる |
センターベントとサイドベンツについて、「どちらの格が上なのか」と考える必要はありません。
資料上では両者に明確な格の上下はなく、それぞれのスタイルや印象の違いとして考えられています。
一方、運動性のためのベントを持たないノーベントは、クラシックなフォーマルウェアに用いられてきました。
センターベントを見るとき、デザイン以上に確認したいことがあります。
ベントが自然に落ちているか。
適正なフィッティングでは、センターベントは背中の中心線に沿って、自然にまっすぐ落ちます。
一方、ベントの重なりが開いている場合は、腰回りや身幅、ヒップ周りが身体に対して窮屈になっていないかを確認するひとつのサインになります。
体型によって背中の裾から腰回りにかけてのゆとりが不足している場合にも起こります。また、後ろ裾がはねる場合には、着丈と体型のバランスや、ヒップ部分での引っかかりなども考えられます。
つまり、原因はひとつとは限りません。
だからDEFFERTでは、ベントを「後ろ姿のバロメーター」のひとつとして考えます。
正面から見れば整っていても、後ろ姿にはサイズ感が現れることがあります。
どれほど上質な生地を選んでも、身体とのバランスが崩れていれば、その魅力を十分に活かすことはできません。
正解は、ひとつではありません。
センターベントはビジネススーツやシングルジャケットなどに広く使われてきた定番の仕様です。一方、腰がしっかり張っている方やヒップが大きい方では、サイドベンツのほうが身体のおさまりが良いとする資料もあります。
ただし、「この体型なら必ずこのベント」と決められるものではありません。
スタイル、用途、体型、好み。そして何より、自分の身体に合ったフィッティング。
ベントの種類を選ぶこと以上に、選んだベントが後ろ姿で美しく収まっていることが大切です。

スーツは、正面だけで完成するものではありません。
背中の線。腰の収まり。裾の落ち方。
自分では見えにくい場所ほど、装いにはその人の意識が現れる。
次にジャケットを着たときは、一度、鏡に背を向けてみてください。
背中の中央に、一本の線が自然に落ちているか。
センターベントは、小さなディテールです。
けれど、その一本は、思っている以上に後ろ姿を語っています。