

シャツは、かつて下着だった。
服飾の歴史を辿ると、この一文にはすぐに出会います。ただ、それだけでは話の半分にしか届きません。
当時のシャツは、肌に直接触れる衣服であると同時に、その一部をあえて人に見せる衣服でもあったからです。
ジャケットの袖口から覗く、わずかな白。
そこには、思いのほか長い歴史があります。
はい。ドレスシャツの原型は、ヨーロッパの服飾史において、上着の下に着て肌に直接触れる「肌着」として扱われてきました。ただし、現代人が思い浮かべる下着と、まったく同じ意味ではありません。
シャツが肌着として扱われてきた歴史は、11世紀にまで遡るとされています。
上着の下に重ね、肌に直接触れて汗や皮脂を受け止める。それがシャツの役割のひとつでした。
その背景には、上着を守るという目的があります。
ウールやシルクで仕立てられた上着は、シャツのように気軽に洗えるものではありません。そこで肌と上着の間に入り、汚れが直接付着するのを防いでいたのがシャツでした。
一方で、すべてを隠していたわけでもありません。
イギリスでは1670年頃、首元や手首からシャツを覗かせる着方が定着したとされています。
シャツは内側に着る衣服でありながら、その縁は人の目に触れる存在だったのです。

では、上着から覗く白は何を意味していたのでしょうか。
シャツの襟や袖口が白く清潔に保たれていることは、やがて着る人の清潔さだけでなく、身分や財力を映すものにもなりました。
白いリネンを美しく保つことは、決して当たり前ではありません。
かつてのロンドンでは、白いリネンを清潔に保つため「カントリー・ウォッシング」と呼ばれる洗濯が重視されました。
白いシャツを頻繁に替え、その白さを維持するには手間も費用もかかります。
だからこそ、純白のシャツは富や社会的地位を示すものにもなったのです。
白は、単なる色ではなく、手入れの跡でもありました。
そして、見せることが許されたのは主にその「縁」でした。
ヴィクトリア朝の服装観では、男性が人前で素肌や下着をさらすことはタブーとされ、上着を脱いでシャツ一枚になる姿も、現在とは異なる意味を持っていました。
見せる部分と、隠す部分。
その境界は、今よりずっと明確だったのです。

中世から17世紀にかけて、シャツの首元や袖口にはフリルやレースなどの装飾が用いられ、それを上着から大きく覗かせるスタイルも見られました。
その流れを変えた人物のひとりとして語られるのが、イギリスのボー・ブランメルです。
18世紀末から19世紀初頭、ブランメルは大仰な装飾を退け、固く糊付けした白いリネンのシャツとクラバットを装いの中心に据えました。
派手な装飾を足すのではなく、清潔な白と端正な装いによって品位を示す。
その美意識は、現代の紳士服へつながる流れのひとつとなりました。
かつてのシャツには、身頃と襟が分かれたものがありました。
汚れやすい襟だけを取り外して洗ったり、交換したりする「デタッチャブル・カラー」です。
襟や袖口は、汚れやすい場所であると同時に、人の目にも触れやすい場所。
だからこそ、そこを清潔に保つための工夫が生まれました。
その後、1920〜30年代には、硬く糊付けした襟から、柔らかな襟をシャツ本体に縫い付けたスタイルも広まっていきます。
現在当たり前に見ているシャツの形も、こうした変化の積み重ねの先にあります。
上着を守るというシャツの役割は、現代のスーツスタイルにもつながっています。
ジャケットの袖口からシャツを1〜1.5cmほど、襟の後ろから約1.5cm覗かせる。
こうした着こなしの目安には、見た目のバランスだけではなく、上着の生地が肌や首に直接触れて汚れるのを防ぐという歴史的な機能もあります。
もちろん、数字はあくまで目安です。
それでも、ジャケットから覗くわずかな白には、単なる飾り以上の理由があります。
シャツはVゾーンの中心でもあります。
襟の収まり、清潔感、サイズの合い方。
その小さな違いが、スーツ姿全体の印象を左右します。
ドレスシャツは、もともと上着の下で肌に触れ、上着を守る肌着でした。
一方で、襟や袖口から覗く白は、清潔さや社会的地位を語るものでもありました。
内側に着るものなのに、見える部分には細心の注意を払う。
その考え方は、形を変えながら現代のスーツスタイルにも残っています。
次にジャケットへ袖を通したとき、袖口から覗くわずかな白を見てみてください。
そこには、単なる着こなしのルールではなく、長い時間をかけて積み重なった装いの理由があります。
DEFFERTでは、スーツだけでなくシャツも、装い全体のバランスを考えながらご提案しています。
